交易都市として発展
事実上ロシア最初の都市「ノヴ(新しい)ゴロド(町)」(正式名称ベリーキ
ー・ノヴゴロド)は、バルト海から黒海、
地中海を結びヨーロッパを縦断する河川通商路の要衝として発展した。9世紀末にはキエフに都が移ったが、
第二の都として重要な役割を果たした。
11世紀にはウラジミール公の下で、 現在に残るソフィア聖堂などの重要な建造物が建てられた。その後も交易はもとより、手工業でも栄える豊かな都に成長していった。 ベレスタと呼ばれる白樺の木皮に書かれた契約書など、貴重な文字資料が大量に発見されており、 当時の人々の生活を知ることができる。
共和制が栄え、豊かな市民社会に
13世紀になると、市民集会「ヴェーチェ」による共和制が栄え始めた。当時、ロシアの各都市は、
王族が支配する独裁制であった。ノヴゴロドも名目的公をいただいていたが、市民集会は外交と内政決定の権利を持ち、
公の提案を拒否したり、公を解任する権利も有していた。共和国として独自の外交権を行使し、ハンザ同盟にも加盟して、
バルト海における独占貿易都市として繁栄した。さらに、ロシアの大半の街がモンゴルの支配に屈した時代も独立を守り続け、
西方のドイツ騎士団などの脅威にも耐え、市民による共和制はその強靭性を発揮した。しかし、衰退は外敵からでなく、
内部から訪れた。次第に有力商人や豪族による金銭と権力による支配のもと、市民共和制は有名無実化し、15世紀、
イワン三世の軍勢により、共和制独立ノヴゴロドの歴史は幕を閉じた。
ノブゴロドの街並
旧市街no城塞区は、ロシア最古のクレムリンで城壁に囲まれている。1044年の古文書には、 ヤロスラフ公によって築かれたクレムリンの描写が記載されているが、 現在残っている部分は1484~1490年に建造されたもの。総延長1385m、高さ約9m。クレムリン中央の勝利広場は、 1862年にロシア国家成立1000周年が祝われ、高さ15mの記念碑が設立された。向かい側には、 現存するロシア最古の石造建築物であるソフィア聖堂(1050年建立)が建つ。ロシア正教の源はコンスタンチノープル (現在のイスタンブール)にあるため、ソフィア聖堂のドームはビザンチン様式のドームを頂いている。 列柱をあしらった祭壇や外壁をはじめ装飾の少なさが白亜の美しさを一層際立たせている。聖堂の主門「マグデブルグ門」 (1152~1154年建立)も必見である。
交易区では、 数十年にわたって大規模な発掘作業が行われている。このエリアの「ヤロスラフ宮殿跡」に5つのドームを頂くニコーロ・ ドヴォリシェンスキー(ニコーリスキー)聖堂が現存する。この聖堂に隣接して民会が開かれた広場があったが、 イワン三世によって破壊された。イリン通りのスパッス・プレオブラジェーニエ教会(1374年建立)は、 ノヴゴロドにおける建築の最高傑作の一つ。その瀟洒な白亜の外壁は、簡潔ながら美しい意匠に覆われている。以後、 多くのロシアの教会建築でこの外壁装飾が適用された。交易都市として栄えたノヴゴロドは、 建築技術だけでなく絵画や金細工などの交流も盛んに行われていた。ロシア最古のイコン、 国宝級の宝物なども数多く残され世界遺産に登録されている。


