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世界遺産・国立エルミタージュ美術館

国立エルミタージュ美術館は、冬宮、小エルミタージュ、大(旧)エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場の5つの建物から成る。

 最初にピョートル大帝がネヴァ川の畔に冬の宮殿を建て、後にエリザヴェータ女帝の命により、 建築家ラストレッリの設計で現在の冬宮が建てられた。

 1762年、エカテリーナ二世は宮殿の構造や内装を自分の好みに替え、さらに、小エルミタージュ、大(旧)エルミタージュ、 エルミタージュ劇場を次々に建て増ししていった。エカテリーナ二世の在位34年間に現在のエルミタージュの姿がほぼ出来上がった。

 その後、ニコライ一世は、ますます増えたコレクションを体系的に展示する美術館を造るために、新エルミタージュを建設した。

 ロマノフ王朝の終焉、ソビエト連邦の崩壊という歴史の荒波を乗り越え、今、エルミタージュ美術館は、 人類の宝物である素晴らしいコレクションを公開している。世界最大級の美術館には、毎日のように世界中から観光客が訪れている。

 

エルミタージュ美術館の誕生 

 1762年、エカテリーナ二世は、即位するとすぐに宮殿の改造を命じた。 派手好きなエリザヴェータ女帝の趣味を一掃して、自分の好みに合わせて内装も一新した。

 それと同時に美術品の蒐集に力を入れ、1764年には、画商ゴッツコフスキーから225点という大量の絵画を一括購入した。 この絵画を飾るために、小エルミタージュが建設された。この225点の絵画購入がエルミタージュ美術館のスタートの年といわれている。 これを機にエカテリーナ二世の蒐集熱は止まるところを知らず美術品は増え続けていった。 1774年に刊行された最初のカタログによると約2000点の絵画が計上されている。収蔵品は10年間で約10倍も増えたことになる。

 そして、建物も1771?87年の間に大エルミタージュが建設され、「冬の小運河」 に架かる通路で結ばれたエルミタージュ劇場も建設された。

 

美術品の流出 

 歴代の皇帝によりコレクションは増え続けていった。ニコライ一世は、ドイツを訪問した際にミュンヘンのピナコーク美術館を訪れ、 自国にも同様の美術館の設立を望み、旧エルミタージュの南部に新エルミタージュを建設した。新エルミタージュは建設工事に9年間をかけ、 1851年に完成した。美術館は1852年から一般公開されたが、その際、 ニコライ一世により1000点以上の絵画がオークションで売却されてしまった。

 その後、ロマノフ王朝が終焉し、ソビエト時代になると、国内各地に美術館を造るという政府の方針で、 多くの美術品がエルミタージュから離れていった。さらに、第二次世界大戦の被害や名画の多くが国外に売られるなど、辛い時期もあった。 しかし、地道な修復を続け、現在は世界遺産に登録され、人類の宝となっている。

 

3階の近代絵画が人気 

 1930年代に個人のコレクションが国有化され、芸術家のパトロンとして有名だったセルゲイ・シューキンとイワン・ モロゾフが集めた絵画は、すべてエルミタージュ美術館とモスクワのプーシキン美術館の所蔵となった。こうして、現在、セザンヌ、ルノアール、 マチス、ピカソ、ゴッホなど20世紀初頭の名作がエルミタージュに飾られている。 特にマチスはシューキンの後援によって家を購入したほどだ。ほかにも、 豪商エリセーエフが所有していたロダンの彫刻もエルミタージュの所蔵となった。

 余談だが、シュリーマンがベルリン博物館に寄贈したトロイの「プリアモスの財宝」が、第二次世界大戦後、 長いこと行方が分からず世界の七不思議の一つとまでいわれていたものだ。それがソビエト崩壊後に、 モスクワのプーシキン美術館が所蔵していることが分かり、世界中が驚いた。

 同様に、エルミタージュでは、『ダンス』をはじめとする数多くのマチスの作品を目にすることができる。『ダンス』 はシューキンがマチスに特注した作品、しかも気に入らず2年間は引き取らなかったといういわくつきの作品だ。

 エルミタージュ3階のマチスの部屋では、革命後パリに逃れたシューキンの無念の思いも伝わってくる。

 

 

ダ・ヴィンチの貴重な所蔵品 

 エルミタージュの何万点という所蔵絵画のなかでも、20世紀最大の購入となったのが1914年に所蔵したレオナルド・ ダ・ヴィンチの『花を持った聖母(ベヌアの聖母)』といわれる。1865年に所蔵した『リッタの聖母』 共々貴重なコレクションである。