ロシア独自の木造建築法
サンクトペテルブルク北東部には、ラドガ湖、オネガ湖とヨーロッパ最大級の湖がある。 この一帯は白樺や針葉樹に岸辺が覆われた沼や湖があちこちにあり、白夜やオーロラを見ることができる北の地なのである。
その中でもオネガ湖にあるキジ島には、18世紀に建てられた木造りのプレオブラジェンスカヤ教会がある。この教会は高さ32m、
釘を使うことなく作られたロシアの独創的な木造建築物で、世界文化遺産の指定を受けている。
1714年以来、 寒風の吹きすさぶ厳しい気候に耐え抜いたキジ島の木造のプレオブラジェンスカヤ教会。湖面の靄の中からそのシルエットが浮かぶ様は、 荘厳な雰囲気。南北に長いこの小島の南側には同時代の集落が保存され、公開されている。
石で造られたモスクワのワシリー聖堂などのねぎ坊主と同型のシルエットは、豊かな森のめぐみに培われた木造建築技術によるものだ。 当然ビザンチン様式の影響を受けているのだが、それ以前の、この国の木造建築技術によって、独自性の高い文化を生みだしている。 遠くから覚える幻想的なイメージも間近に見ると、時を経た木肌の温もりが伝わる。
日本の古都の五重塔や法隆寺の正倉院を思い起こしていただければ良いだろう。数百年の隔たりがあるとしても、 それぞれ西と東の果てにありながら、キジ島でも東洋の島国でも、同様な人々の営みがあったことが垣間見れる。
モスクワのクレムリンも13世紀までは木造の砦であった。当時のロシアの建造物は豊富な森林資源によって賄われていた。 当然この地方の教会も木造であった。それに伴う木造建築の技術もおのずと進歩発達した。 今に残るプレオブラジェンスカヤ教会のねぎ坊主型ドームは細部に至るすべてを木で造ることで、独創的な建造物となっている。例えば、 一枚一枚を鱗の様な木の甍にアールをつけ、ねぎ坊主型ドームの緻密な構造が独創的なデザインを生みだしている。
キジ島には12世紀頃からロシア人が入植し次第に先住民と同化、ロシア正教が浸透していった。先住民の神聖な場所「祭りの場」 に教会が建てられ、16世紀にはすでにプレオブラジェンスカヤ教会があった。しかし、1690年の落雷で焼失。 その後、北方の領土を奪回したピョートル大帝は、オネガ湖湖畔の寒村に製鉄所を造らせた。その寒村がペトロザヴォーツクで、 カレリア地方の中心地として栄えた。そして一方、キジ島はカレリア地方の聖地として栄えた。現在、 キジ島へはペトロザヴォーツクから快速艇で行くことができる。
「祭りの場」に教会が復活
1714年にプレオブラジェンスカヤ教会は再建された。 当初、一つのドーム屋根だったのだが、キリストを象徴する大きなドームを四使徒を象徴する4つのドームが囲み、 やがて数がさらに増え、ロシア正教の十字架を戴く22個のドームが造られた。 最上部のねぎ坊主型ドームと周囲に連なる小ドームとの調和はすばらしい。 その銀色に輝く様はまるで別種の金属で作られているような錯覚に陥る。また、ドームの複雑な配置には雨水の排水も考慮され、 技術的にも芸術的にもすぐれた造型となっている。建築者は不明だが、当時の職人の技術水準の高さが伺える。
二つの教会と鐘楼の見事な調和
プレオブラジェンスカヤ教会の敷地内には他に2つの建物がある。 ポクロフスカヤ教会と鐘楼だ。プレオブラジェンスカヤ教会には暖房がなかったので、1764年にペチカを備えたポクロフスカヤ教会が再建された。 建造にあたって、プレオブラジェンスカヤ教会の景観を壊さず、さらに独自の教会を建てるという課題があった。 建築にあたった職人たちは試行錯誤を繰り返し、2度の建て直しを経て、 プレオブラジェンスカヤ教会と調和するように9つのねぎ坊主型ドーム屋根が重なりあう教会が完成した。また、 鐘楼は前述の2つの教会の間にバランスよく建造された。現在、私たちが目にするのはこの鐘楼である。 2つの教会よりもかなり時を経て建てられたものだが、この3つの建物は島の東西南北どの方向からでも、 各々、調和がとれた景観を呈している。


