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世界遺産 ピョートル大帝の夏の宮殿 ペテルゴフ

ヴェルサイユ宮殿に劣らぬロシアの威信をかけた夏の宮殿  

 1713年、サンクトペテルブルクへの遷都を終えたピョートル一世は、翌1714年から夏の宮殿建設にとりかかった。

 1717年にはフランスを訪問し、滞在中はその破天荒な振る舞いで接待役の貴族の度胆を抜き、 常軌を逸した言動で並みいる諸候たちを驚かせたのだが、それでもルーヴル宮殿やチュイルリー庭園、 ヴェルサイユ宮殿などをつぶさに見学してきた。

 ピョートル一世が夏の宮殿の建設地を最終的にこの地に決めた理由の一つは、20kmほど離れた丘陵地に湧き水の池を見つけたことによる。 ここから水を引き、庭園のあちこちに噴水や滝を造り、その先には海が広がるという噴水の庭園の構想を可能にする地であった。

 こうして、小高い丘の上に建つ「大宮殿」を中心に、大宮殿につながる「上の庭園」には、左右対称の貯水池のほかに噴水を設けた3つの池と、 周囲には並木道や果樹園、野菜畑、薬草園なども配置された。また、大宮殿のテラスから望む「下の公園」には、テラスの下から「大滝 (ボリショイカスケード)」が流れ、その水が「海の運河」と呼ばれる運河となって一直線にフィンランド湾へ注ぎ込む。

 緑が繁る庭園のあちこちには趣向を凝らした噴水と池が約150ほども設けられた。これらの池は養魚池を兼ねており、 宮殿内の食材が自給できるような考慮もされていた。

楽園をイメージした水と緑の庭園

 

 それまでのロシアには「噴水」という存在がなく、噴水という言葉もなかった。 小さいころから海と水遊びが好きだったピョートル一世の夢の具現化が、水が空に舞う噴水の庭園である。

 下の公園には大小合わせて150ほどの噴水と「モンプレジール宮殿」をはじめ小宮殿が点在する。

 フィンランド湾を目の前にしたモンプレジール宮殿は最初に建てられたもので、大宮殿建設期間中、ピョートル一世はここで過ごした。

ここで、海を眺めながら、自ら図面を引いたりして、離宮全体の構想を膨らませていたピョートル一世の姿を彷佛とさせる宮殿である。

  「マルリ宮殿」にはピョートル一世の蔵書を納めた図書室が残る。

 大宮殿と楽園をイメージした広大な庭園は、ロシアをヨーロッパ諸国と肩を並べる国にするために、自分の時代にすべきことは、 軍隊が強いことだけでなく、整然たる都があり、都の中心に王(皇帝)の絶大な権力を物語る王宮があり、さらに郊外には王(皇帝) の財力を物語る離宮があり、それらを飾る金銀宝飾などがあるという、そういう外側の形を作らねばならないという思い、 帝国の形を作ることが自身の役目、というピョートル一世の意志を垣間見ることができる。

 後年、エリザヴェータ女帝はピョートル一世が建てた2階建ての大宮殿を3階建てのバロック様式に改築し、 さらにエカテリーナ女帝は外観はそのままに、内装を古典様式に改装した。 大滝の池のサムソン像は1734年に対スウェーデン戦勝25周年を記念して作られたが、 1802年にアレクサンドル一世により作り替えられている。 そのほか歴代の皇帝たちがそれぞれに手を加えてピョートル一世の意志は受け継がれていった。

 また、ロマノフ朝終焉後の荒廃や、第二次世界大戦のドイツ軍による爆撃などの被害を乗り越えて、 長い年月をかけた大勢の人々の忍耐強い修復作業があり、現在につながっている。

 

ペテルゴフの見どころ 

宮殿と庭園を含め、約1000ヘクタールという広大な敷地である。海外からの観光客は大抵丸1日をペテルゴフ観光に当てている。 夏休みにはロシア各地から訪れる人が多く、大宮殿内は入場制限される場合もある。

 大宮殿 
エリザヴェータ女帝が建築家ラストレッリに命じて改築した大宮殿は、3階建てで正面の長さは300mにも及ぶ横長の造り。完成したときは 「天と地の統合」と称えられた。万事派手好みのエリザヴェータ女帝は内装をバロック様式で飾り立てたが、 これは後にエカテリーナ二世によって古典様式に改装され、エリザヴェータ色は払拭された。しかし、「ピョートル大帝の樫の木の間」 だけは両女帝ともそのままに残した。

 第二次世界大戦時のドイツ軍の侵攻で大宮殿は徹底的に破壊されてほとんど廃墟となった。ソビエト時代からの地道な修復作業が続き、 再建されたのは近年のこと。現在でもまだ一部修復は続いている。

 上の庭園 サンクトペテルブルクから列車やバスを利用する場合は、上の庭園前の停車場から入る。この庭園には大きな貯水池が左右2つあり、 ここから下の公園の噴水に水道管を通して落水させ、水圧で噴水の高さを調節するという高度な計算と技術がなされている。

 下の公園 サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館前の船着場からペテルゴフ行きの快速艇が発着している。 船で訪れる場合は、「海の運河」が流れ込むフィンランド湾の桟橋に着く。

 下の公園にはいくつかの小宮殿が点在する。いつも見学客でいっぱいなのはモンプレジール宮殿。海を一望するこの宮殿は、 ピョートル一世が最も愛した場所で、大宮殿が完成するまで過ごした場所である。ピョートル一世を偲ばせる書斎や寝室などが再現されている。

 ほかにもマルリ宮殿やエルミタージュ宮殿など内部見学が可能だ(別途入場料が必要)。

 森と水の広々とした公園には、緑の散歩道とあちこちに遊び心に満ちた噴水が点在する。観光客の喧騒を離れて一歩森の中の小道に入ると、 ひんやりとした静寂に包まれた別天地が続く。海岸際では、水遊びをする家族連れがお弁当を広げていたり、のどかな市民の公園の風景もある。

 

ピョートル大帝 Pyotr I Alekseevich

1672 1725年 [在位1682 1725年]  

ロシアの近代化は彼から始まったといわれる。即位後ヨーロッパ諸国を歴訪し、ロシアの後進性を痛感した彼は、都を遷都し、 近代国家へ向けて歩みだした。絶大な権力を持ち、破天荒な性格であったが、強靱な意志と実行力でロシアの近代化への道を開いた。