芸術と生活と自然の調和を目指す
モスクワ市の中心部から北東に直線距離で約60km、電車で約1時間30分、緑の森の中に保護区「アブラムツェヴォ博物館」 がある。
アブラムツェヴォは、もとは1843年に作家セルゲイ・ アクサーコフが購入した領地。屋敷にはゴーゴリやツルゲーネフをはじめ友人たちが集まり、文学を語り、芸術を論じた。 アクサーコフの死後、アブラムツェヴォは大富豪マーモントフの手に渡った。
サーヴァ・I・マーモントフ(1841~1918年)は、
鉄道建設で巨万の富を築いた鉄道王である。彼は芸術を愛し、財力を投じて芸術家たちを擁護した。
1870年にアブラムツェヴォの領地を手に入れたマーモントフは、イギリスのウィリアム・モリスが提唱する美術・工芸運動に触発され、
この地をロシア民芸運動の本拠地とした。彼に共鳴する画家や彫刻家が集まり、さまざまな創作活動が営まれ、
一種の芸術家村のようになっていった。
美しい大自然に囲まれたこの地に、19世紀末ロシア文化の啓蒙を促す芸術家たちが集まり、 ここを拠点に芸術と生活と自然が調和した理想的な芸術家村を形成した。
マーモントフの下に集まったのは、 トレチャコフ美術館やロシア美術館などでその作品が知られるV・ヴァスネツォフ、I・レーピン、M・ヴルーベリ、V・セローフ、K・ コローヴィンといったロシアの美術史に一つの黄金時代を築いた画家や工芸家、建築家たち。また、 作曲家チャイコフスキーや歌手のシャリャーピン、後にバレエ団「バレエ・リュス」 を率いてヨーロッパ中に名を馳せたディアギレフなども訪れた。彼らは「アブラムツェヴォ芸術サークル」と呼ばれた。 ロシアの民族的モチーフを見直して新たにするという芸術運動は、ディアギレフによる雑誌『芸術世界』の発行に繋がり、 彼ら芸術家たちの熱気は、後のロシア・アバンギャルドに受け継がれていった。
芸術家たちのアトリエが点在
マーモントフ時代の面影を伝える邸宅は現在博物館となっている。 博物館のほか、敷地内には当時の芸術家たちのアトリエなどが点在している。
中心的存在は、ヴァスネツォフ設計の美しい白い教会である。 中世ノヴゴロドの教会様式を基盤に、モスクワ、プスコフ、スーズダリなどそれぞれの地域の教会建築の要素を取り入れたもの。 内部に飾られたイコンはヴァスネツォフのほか、V・ポレノフやI・レーピンなどが腕を振るった。 ロシアではイコンはイコン画専門の修道士が描くのが常なのだが、この教会のイコンは画家の手によるもの。その点でも異色な存在だ。
破風や屋根、室内装飾に伝統の木工装飾技術を駆使した「工房」は、 自らも彫刻を嗜んだマーモントフのためにV・ガルトマンが設計したもの。深い屋根が特徴的な「望楼バーニャ(ロシア式風呂)」はI・ ロペトの設計。また、村の子どもたちのために建てられたロシアの民話に登場する「山姥の小屋」などもある。
現在も伝わる芸術家の精神
アブラムツェヴォは、芸術家たちの活躍の場としてだけでなく、 広く工芸家を養成する場でもあった。マーモントフの妻エリザヴェータは、近隣の村の子どもたちを集めて、家具や手工芸品、 陶器製作などを教える学校を設けた。さらに付属の工房も設け、彼らが職人として自活できるように尽力もしている。 ロシアのおみやげ品として人気のマトリョーシカはエリザヴェータが日本の「こけし」と「だるまの入れ子」をヒントに考案し、 アブラムツェヴォの工房で誕生したものといわれている。
この学校は、アブラムツェヴォ芸術教育学校として現在も存続しており、毎年、 工芸家を志す若者たちが巣立っている。



