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20世紀ロシアの天才建築家 独創性に満ちたメーリニコフの世界

「建築とは美であり、 独創性は作品の重要な質の一つである」

 

 独創的な構成と斬新なデザインのメーリニコフの建築は、 同時代の建築の枠組みに当てはめることはできない。彼の持論は「家とは、家庭の持つ内的な世界と建築家の創造的世界との融合である」 という。それを実現させたのが、自身の邸である。

 モスクワ、アルバート通りの裏の路地に建つメーリニコフ邸は、 1927~29年にかけて、メーリニコフの絶頂期に建設された。いうなれば自身の夢の具現化でもあった。

 玄関から2階の客間、3階のスタジオには、家族の居間や子ども部屋、 寝室などを通らずに、螺旋階段で行けるようになっている。

 六角形の窓からの採光により、室内は明るい。現在も個人邸宅のため、 内部の見学は難しく、特別の許可がある場合に限られる。

 

メーリニコフの作品に触れる

 

 メーリニコフは、1925年パリ万博のソ連館の建設において、 一躍世界的に注目され、建築の注文が殺到した。1925年にはパリ万博と並行してパリの「タクシー・ガレージ」を設計。ユニフロー・ システム(バックさせずに車の出し入れを可能にする)を完成させた。

 モスクワにおいては、1926~28年にバフメーチェフスカヤ通りに「バス・ ガレージ」を建設。1929年にはノヴォ・リャザンスカヤ通りに「貨物車輌用ガレージ」を完成させた。 同時進行で1927~28年の労働者クラブ建設ラッシュ時には、メーリニコフは4軒の労働者クラブの設計をこなし、 翌年にはさらに3軒の労働者クラブを設計した。メーリニコフの絶頂期ともいうべき1929年は、 ソ連においてスターリンの独裁が始まった年でもある。建築の方向性も一変し、 スターリンの意向を後ろ楯にした建築家同盟によりメーリニコフは建築家生命を絶たれてしまった。1920年代の10年間に建てられた、 彼の独創性にあふれた建築物は、現代において高く評価されている。

 

 

 

 

コンスタンチン・S・メーリニコフプロフィール

18901974年)

 

ロシアの建築家。

191014年モスクワ絵画彫刻建築学校で絵画を学ぶ。191417年建築学校で実習生として建築を学んだ後、AMO Auto Factoryで働くが、ロシア革命後、 1923年から再度国立建築大学で建築学を学び、 建築に関する考え方とスタイルが一変した。1923年、全ロシア農業博覧会のマホルカ・パビリオン設計。 さらに1925年パリの万国博覧会ソ連パビリオンで世界的に注目された。 時代の寵児となったが、1937年、建築家同盟から設計を批判され、事実上設計を禁じられた。 1974年死去するまで肖像画家として余生を過ごした。