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ロシア正教会を代表する教会 救世主キリスト大聖堂

苦難をくぐり抜けて近年再建されたロシア正教会を代表する教会

 

アレクサンドル1世(在位1801~25年)の死後、 帝位についたニコライ1世(在位1825~55年)は、ロシアの芸術文化における伝統を特に重んじる皇帝であった。 建築においても当時のロシアがギリシャ・ローマを模倣した古典主義に片寄っていることに批判的であった。 そのような時期に、建築家コンスタンチン・トーンが提出した設計案が皇帝の目に留まり、1829年、ニコライ1世はトーンに 「救世主キリスト大聖堂」の設計を命じた。

 トーンの設計案は、新ビザンチン様式ともビザンチン・リバイバルとも呼ばれ、 一部からはその折衷主義が批判されたが、ニコライ1世の強力な支持により、建築が始まった。

 トーンは、 1830年には芸術アカデミーの会員になり、次いで1833年にはアカデミーの教授となった。 この時期にトーン設計による新ビザンチン様式の教会が、ロストフ・ナ・ダヌーやクラスノヤルスクなど地方都市で次々と建設された。 また、トーンは1838~51年にかけて、クレムリン大会宮殿と武器庫の設計、建築を進めている。

 1881年トーンの死後も弟子たちによって救世主キリスト大聖堂の建設は進められ、 1883年、44年の歳月をかけた工事が完成した。

 

 

ソビエト時代に破壊され、 2000年に復活

 

 ソビエト時代は、ロシア正教会にとっては苦難の時代だった。 トーンにとっては幸いにも死後のことになるが、1931年、スターリンの命令により、救世主キリスト大聖堂は爆破され、撤去された。

 地方都市の教会も革命派の建築家たちから「ツァーリズム(絶対君主制) の反動的明示」と批判され、また、ソビエト政府からも「醜悪な整理ダンス」というレッテルを貼られてほとんどが破壊された。

 しかし、 ソビエト崩壊後1990年、まっ先に、救世主キリスト大聖堂の再建が決定され、2000年完成、盛大な落成式が執り行われた。

 現在残るトーンの作品は、クレムリン大会宮殿と武器庫のほかに、モスクワの 「レニングラード駅」とサンクトペテルブルクの「モスクワ駅」がある。

 

 

コンスタンチン・A・ トーンのプロフィール

17941881年)

 

ロシアの建築家。

サンクトペテルブルクに生まれ、ロシア帝国アカデミーに学ぶ。

アカデミーでは、カザン大聖堂を手がけたアンドレイ・ ヴォロニーヒンに建築学を学んだ。181928年にかけてイタリアへ留学。帰国後、皇帝ニコライ1世よりモスクワ河畔の大聖堂設計を要請され、1830年に設計案を提出。実際の建築は、1839年から始まり44年間もの歳月を要した。他に代表作として、クレムリン大宮殿、 武器庫などが残る。