モスクワ音楽劇場の誕生
帝政ロシア時代からバレエの舞台としてマリインスキー劇場やボリショイ劇場が有名であった。 ソ連時代になってもバレエ舞台の演出は基本的に伝統的な演出から踏み出さず、部分的な変更に留める傾向があった。一方、 「スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場バレエ」は、 ソ連時代に誕生した劇場として大胆な舞台演出のアレンジを行った。この劇場は、1918年、 俳優であり演出家のコンスタンチン・ S・スタニスラフスキーがボリショイ劇場に「K・S・スタニスラフスキーオペラ・ スタジオ」 を設置するように招かれたことが発端になる。翌年1919年には、モスクワ芸術座に「V・I・ ネミロヴィチ=ダンチェンコ音楽スタジオ」が設けられた。
スタニスラフスキーのオペラ・スタジオでは、チャイコフスキーの 『エフゲニー・オネーギン』、リムスキー=コルサコフの『皇帝の花嫁』、ロッシーニの『セビリアの理髪師』などが上演された。他方、 ネミロヴィチ=ダンチェンコは、ルコックの『アンゴ夫人の娘』、オッフェンバッファ『美しきエレーヌ』、ヴェルディの 『トラヴィアータ』などを演出した。
1939年、 ネミロヴィチ=ダンチェンコはボリショイ劇場の有名なソリストであったV・クリゲルが指導するバレエ団を招聘。
1941年、 二つのスタジオが合体し、「スタニスラフスキー&ネミロヴィチ=ダンチェンコ記念国立モスクワ音楽劇場バレエ」 が誕生した。
ソビエト・ バレエの創造力の象徴『エスメラルダ』
1941~71年にかけては、伝説的なバレエ演出家ウラジーミル・ ブルメイステルが活躍した。
このモスクワ音楽劇場バレエの傑作となったのが、ビクトル・ユーゴー原作の 『ノートルダム・ド・パリ』に基づいて舞台化された『エスメラルダ』である。
これは、
ジュール・ペローそしてマリウス・プティパにより手がけられ、ロシアでも何度か上演されている。
1950年にウラジーミル・ブルメイステルは原作に手を加え、 全体をエネルギッシュで情熱的なものに変えて発表した。このブルメイステル演出『エスメラルダ』は大喝采を浴び、 モスクワ音楽劇場を代表する舞台として、ソビエト・バレエの新しい創造力の象徴となった。
セルゲイ・ フィーリンが挑む『エスメラルダ』
元ボリショイ劇場のトップダンサーとして一世を風靡したセルゲイ・ フィーリンが2008年にモスクワ音楽劇場バレエの芸術監督に就任した。彼は、この劇場にとっての『エスメラルダ』 はモスクワ芸術座にとってのチェーホフ劇と同様の位置づけと考える。そして、数年間演じられなかった『エスメラルダ』の復活に挑んだ。
フィーリンは、ブルメイステルのテキストを忠実に守りながらも、 振付けや舞台装置、俳優の配置などに新しい趣向を加えた。
舞台装飾はヴァレーリー・レヴェンターリが担当。ブルメイステルの 『エスメラルダ』は、創作以来約60年を経て、衣装、装飾などを新たにして蘇った。
エスメラルダ役にはナタリヤ・クラピヴィナ、ナタリヤ・レドフスカヤ、 ナタリヤ・ソモヴァ。
カジモド役にはアントン・ドマシェフ、ロマン・マレンコ。
モスクワでの初公演は2009年11月27日に行われ、 モスクワのバレエファンの話題をさらった。
これに対してボリショイ劇場も負けてはいられない。 2009年12月25日には75年ぶりにマリウス・プティパ作の『エスメラルダ』を芸術監督ユーリー・ブルラカのもとに復活させる。 この冬のモスクワのバレエシーズンは『エスメラルダ』の話題で盛り上がること必至だ。
2010年4月 『エスメラルダ』 の日本公演
国立モスクワ音楽劇場のブルメイステル版『エスメラルダ』 が2010年4月に来日公演の予定。
来日に先立ちセルゲイ・フィーリン芸術監督に話を伺った。
「2010年の日本公演では、日本側の希望も含めて、親しみやすい 『白鳥の湖』と自信作『エスメラルダ』を選びました。
ブルメイステルの演出による『エスメラルダ』は、
モスクワのバレエ界の伝説です。この舞台は、1950年
に制作され、
私たちの劇場にとって画期的なものとなりました。何十年にもわたって上演された『エスメラルダ』の舞台を通して、
モスクワのバレエの数世代が育ったのです。わたしたちの劇場の著名な演出家もすべて『エスメラルダ』
の舞台で育ったといっても過言ではないのです。
華やかなストーリー、記憶に残る音楽、振付けなどすべてが『エスメラルダ』 をバレエ芸術の傑作にしています。
この舞台演出の復元に携わりながら、 わたしは出来る限りブルメイステルのオリジナルな着想、ブルメイステルの卓越した才能に近づこうと努力しました。
日本の大勢の皆様が『エスメラルダ』 の舞台を観てくださることを願っています」
※右上の写真: 稽古場で指導するフィーリン氏


